京都ノートルダム女子大学人間文化学科

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堀勝博「わが思い出の師」

 
わが思い出の師
 

私には二人の恩師がいる。吉田弥寿夫先生と森重敏先生である。一昨年、昨年と相次いで他界された。お二人とも歌人であり、京大国語国文の後輩先輩の関係であったので、よく互いのお噂をなさった。

吉田先生は、戦後の留学生日本語教育に功を成した方で、司馬遼太郎も認めるすぐれた歌人であった。私がある時、先生に迂闊にも「桑原武夫の『第二芸術論』も一理ありますね」と口走ってしまったことがあった。先生「あんな説にだまされるようでは、まだまだ修行が足らん」と言われ、急遽講義の予定を変更し、3時間ばかり短詩型文学の何たるかをとくとお話しして下さった。それはよかったが、講義の間中、しばしば私の不勉強をダシになさったので、冷汗三斗の思いであった。諧謔・皮肉の名手で、「君みたいなのが単位を掠め取って行くから、日本の大学はダメになるんや」が口癖であった。御言葉はつねに辛辣であったが、学生をこよなく愛した先生であった。

森重先生は、万葉訓詁学で有名な澤瀉久孝博士の直弟子で、知る人ぞ知る文法の大家である。語学が語学にとどまっていてはダメで、文学を読むための、意味に届く語学研究をしなければならないという信念をお持ちであった。そのお考えの通り、晩年は、万葉集、和泉式部、西行などの和歌解釈に新境地を拓かれた。文法を究められた先生にしかなしえない、前人未踏の御仕事の数々である。武士道の気風をもった先生で、つねに目に見えないものを相手にされていた。学問は目の黒い者を相手にしてはいけないと。勉強を忘れても喰うことを忘れる人はまずいないが、森重先生は喰うことを忘れるほど勉強に没頭された方であった。文法研究も含め、目に見えぬものをひたすら目に見える形にあらわそうと努力された先生であった。亡くなる直前まで、神とは何か、魂とは何か、人生とは何かといったことを明らかにすべく、読書・研究に打ち込まれた。

お二人とも、ある意味で日本の将来に絶望されていた。しかし、目の前に現れる私などには、とてもやさしく接して下さった。立派な師を二人も持ちえた私は、何とも果報者であるが、その御学恩に報いるべき業績を挙げえぬこと、忸怩たる思いである。

最後にお二人を顕彰すべく、その御玉詠を三首ずつ掲げる。吉田先生の歌集は、公共図書館にもほとんど所蔵されぬ貴重品である。また、森重先生については、数千首の御詠作があるが、そのすべてが未発表である。歌というものは活字にして発表するものではない、が持論であった。蛇足ながら末尾に私の腰折挽歌も附載させていただく。

吉田弥寿夫 作
眼を貫きて薊咲きゐる馬の髑髏いくたりの兵士村に帰したりや
地の塩のごとくに君ら死にゆきて生れたる国か小さき日本
諦めにはとほき思ひのうづきゐて曇り日の塔に旗たれてゐる

森重敏 作
高き枝に群れゐる春の白鳥の夢ならで咲く木蓮の花
みほとけのおのづからなる微笑みぞわが悲しみのはじめなりける
われなくてこの世はあらむわれなくてこの世なからむ一期なりけり

追悼恩師 拙詠
てふほたる眼の前を飛ぶ虫にすら師の御魂かと思ふこの頃

人間文化学科教員 堀 勝博
 
 
   
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