京都ノートルダム女子大学人間文化学科

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小川光「文化とは」

 
文化とは
 

「文化」とはよくぞいいける 文魂の化けものなるか 人をまどわす

 ヨーロッパに長く間滞在して日本に帰って来て気づくことのひとつは、現在この国では「文化」という語が多用されているということである。10年以上を英語圏とドイツ語圏に住んでいる間に、cultureやKulturという語を何度目にしたか自分に問うてみる。しかし、日常の生活でこれらの語を見かけたことをどうも思い出せない。それが日本に帰って来てテレビをつければ通販会社の名、街を歩けば大型の公共建造物にさえ「文化」が冠せられていたりする。これほど文化爛漫の国もそう多くはないだろう。いまは亡き上の狂歌の作者自身が、化けて出て来てみたくなるような状況であるようにも思う。
  ずいぶん前のことだが、日本に住み始めたヨーロッパ人の友人に住居のことを聞いたら、「Bunkaだと音楽も満足に聴けないし」と、いわゆるマンション風の住居に住むことに決めたと言っていた。Bunkaとはもちろん「文化住宅」のことで、具体的には彼女は木造アパートのことを言っているのであった。外国人が習う日本語には、いまだに「文化住宅」のような言葉があるのだ、と久しく耳にしていなかったこの語が妙に新鮮に響いたものである。戦後現れたいわゆる文化住宅が人々の垂涎の的であった時代を私は知らないが、文化住宅の住人が鉄筋コンクリートのアパート群を前に、「文化的」負い目を感じ始めた時期に子供時代を過ごした。当然のことながら、「大型の公共建造物」の場合は微妙な例外であるとして、これまで書いてきた「文化」という語は、そのまま「文明」に置き換えられるものである。発達の度合いでさらなる利便性が生み出され優劣が決定されるのは、文明の属性ではあっても文化とはほぼ無関係のことである。なぜにこの国で文化と文明が見事に取り違えられながら、「文化」が大判振る舞いで出回ることになったのかは知らないが、以下のことをしっかりと認識しておくことは大切だろう。
  カルチャー・センターというようなものも花盛りだが、このカルチャーはもちろんcultureであり、周知のように、この語は文化だけでなく教養をも意味している。キケロは教養に関して、「土地が耕されなければ不毛であるように、人の心もまた耕されなければならない」と言ったが、これは、人は単に多くの知識を吸収するだけでなく、それらを人生の経験などと織り交ぜながら地道に自己の精神を耕すべきである、というようなことを言っているのであろう。ひとつの文化もまた、異文化と接触する相対化の過程で常に新しい側面・局面を生み出していく。文化と教養の進展の形のこのような類似性を考えるとき、単なる知識の集積に終わらない真の教養を通じてのみ、文化の真の理解もまたできるように思う。
  日本在住のある有名なヨーロッパ人は、最初、日本の捕鯨糾弾のために来日したのだが、滞在するうちに文化の相対性を身をもって体験し、異文化からのそのような一方的な糾弾に正当性がないと悟ったという。いまでは日本人以上に日本文化を深く理解するその御仁が、「偏見とは、教養のない人間の専売特許なのです」とどこかで語っていた。原理主義や民族主義の名の下に(つまり「自分至上主義」をかざして)、争いをくり返す輩が重々知りおくべき言葉ではないか。

(小川光)

 
 
   
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