京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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論文梗概
 
金海蓮   張謇と日本−南通博物苑の創設をめぐって―
 
 張謇(チョウケンzhang jian 1853〜1926)は、江蘇省の南通(旧通州)生まれ。清朝末期より中華民国初頭にかけて、南通一帯で実業、教育、文化、社会福祉などの面で大きく貢献した郷紳である。彼は1894年科挙制度最上位の状元となり、翰林院修撰として働くが、中央官吏の道を断念して翰林院を辞職し、実業と教育の世界に身を投ずる。
「以実業与教育迭相為用」、つまり実業と教育を共に振興させるという考えのもとに、中国が半植民地化されて危機に瀕していた時代、実業救国、教育救国の道を歩むことで、その危機を乗り越えようとしたのである。
  張謇が活動した19世紀末から20世紀初にかけては、日本も明治維新により近代化の道を歩んでいた時期にあたる。そしてその明治期日本の経験が、中国においても大きな影響を与えた時期でもある。当時日本には、中国から多くの学者や学生が視察や留学に訪れ、また中国には日本人教習が招聘された。張謇自身も、1903年に大阪の第五回内国勧業博覧会をきっかけとして、実業や教育についての見聞を深めるため来日した。そして、この博覧会を数度にわたって参観し、各地の教育・文化施設を精力的に見学してまわったのであった。
  日本の近代化をモデルにしようとする清朝末期の時代趨勢とともに、この張謇の来日による博覧会参観および各地の施設見学は、その後の彼の事業展開に大きな影響を与えることになった。本稿で取り上げる、南通博物苑もこうした日本からの影響を大きく受けて張謇により創設されるのである。
  張謇の成し遂げた諸事業に関してのこうした日本からの影響については、実業・教育部門ではすでに多くの研究蓄積がある。しかしながら文化面、とりわけこの南通博物苑については、日本での見学や見聞などといった日本からの影響についての具体的な研究はまだまだ充分になされてないのが現状である。このような問題意識に基づいてこのテーマを取り上げた。
  本稿では、まず張謇来日以前における日本人との交友、そして張謇来日にあたって便宜を与えた西村天囚ら日本人について明らかにする。ついで張謇来日時の内国勧業博覧会や博物館の当時の実情を論述し、張謇が博覧会や博物館の何を実際に見学して影響を受けたかについて検討していく。さらに張謇帰国後に創設された南通博物苑が、こうした日本見聞からどのような影響をうけて創設、運営されたかを解明していくこととする。
  このように、清末民初という中国の苦難の時代にあって、中央官吏の修撰の道を断念して野に下り、南通という地方都市を舞台として、いかにして博物館を創設することができたかを具体的に検討することを通じて、過渡期に生きた郷紳張謇の全体像の一部でも明らかにすることができればよいと考えている。
 
 
 
 
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