京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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論文梗概
 
松尾あすか   「明治期における京都の文化施設の創設について」
 

 今私たちが、歴史の中で継承されてきた文化の所産を享受しようとするとき、博物館、美術館、図書館、勧業館などに行き着く。そして例えば京都において、こうした文化施設の所在をみてみると、それらは岡崎公園に集まっていることに気付く。岡崎公園には博物館、美術館、図書館、勧業館、それに動物園まである。さらにこれからの文化施設はいずれも公的なものであって広く人々に開かれたものでもあるのだ。ではなぜ現在、京都の岡崎公園の一帯には文化施設が集まっているのだろうか。こうした疑問に出会った時に、私はこのように岡崎公園に文化施設が集合していることには何らかの歴史的背景があるのではないかと考えてみた。そして、これらの文化施設がどのような経緯により、広く人々に開かれた機関として成立してきたか、といった歴史的経緯を検討してみたいと考えた。そのようにその創設の経緯を総体的に捉えてみることによって、そうした文化施設がどのような役割を担い、またどのような機能を果たすべきかをいった点が一層理解できるのではないかと考えたからである。
 これらを考察していくと、内国勧業博覧会というものに行き着く。内国勧業博覧会は5回開催されており、第一回内国勧業博覧会は1887(明治10)年に、1881(明治14)年には第二回内国勧業博覧会、1890(明治23)年には第三回内国勧業博覧会がいずれも東京の上野にて開催されている。そして1895(明治28)年には第四回内国勧業博覧会が京都の岡崎で行われている。さらに、1903(明治36)年に第五回内国勧業博覧会が大阪の天王寺において開催された。このように、内国勧業博覧会が開催され、上野や後に公園に指定となった岡崎や天王寺といった地域には共通していることが見えてくる。それは、これら3つの開催地には、現在文化施設が集まっているのである。つまり、内国勧業博覧会と文化施設の創設には何か関係があると推論できる。そこで本稿では、京都の事例を取り上げ、明治28年に岡崎の地で行われた第四回内国勧業博覧会がこれら文化施設創設のひとつの結節点となり、またそれ以前に京都の地で開催された幾度かの博覧会がその基層を形成したのではないかとの仮説をたてた。
 そもそも日本で初めて行われた博覧会は明治4年の京都博覧会であった。また江戸時代にまで遡ると、博覧会のように文物を展覧して他者に見せるという面での類似の会合として、本草会・物産会というものがあった。つまり我が国においては、江戸時代からの本草会や物産会を底流にしながら、明治期において日本の博覧会として現出したのである。

 本論では、博覧会の底流とも言えるような江戸時代の本草会、物産会から検討することにする。そして幕末明治期に我が国が参加した万国博覧会について述べ、次に明治初期に各地で開かれた博覧会のうち主として京都の博覧会について取り上げる。またそれらを基礎にして、東京、京都、大阪で開催された内国勧業博覧会、とりわけ京都の内国博覧会について述べる。さらに内国勧業博覧会のうちの、主として展覧される文物の類分けに注目して、部門としての類分けがその後陳列場や各種の文化施設へと分化していくプロセスを検討していく。そしてその文化施設の創設に至る主要な要因として、文物の公開性ということに着目して、こうした分化のプロセスをみていくことにする。つまり、それまで明治維新期から京都で行われていた博覧会をその前史と考え、博覧会が各文化施設へと分化していくプロセスを、公開と展示物の分類・区分を軸に明らかにしていこうと考えているのである。
 
 
 
 
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