京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

京都ノートルダム女子大学  | 本学TOP | 人間文化専攻TOP |
大学院人間文化専攻 Cross-Culutural Studies 大学院人間文化専攻 Cross-Culutural Studies
   
 

研究のページ > 修士論文

 
 
論文梗概
 
廣政陽子  「ベルニーニ『聖テレサの法悦』における超俗的性格と現世的性格」
 

 本論はバロック芸術の代表作として名高いベルニーニの『聖テレサの法悦』における超俗的性格と現世的性格を明らかにするものである。『聖テレサの法悦』が世俗的で人間的な愛を描いた作品であるとの誤解をしばしば招いてしまう要因について様々な角度から考察し、『聖テレサの法悦』が時代に即した宗教彫刻であるとの結論を目指す。
 第一章では『聖テレサの法悦』の前段階としての神話彫刻をみるために、女性像である『プロセルピナの略奪』と『アポロンとダフネ』に着目した。神話彫刻における“追い詰められた状態の女性像”をベルニーニがいかに表現していたかという問題は、宗教彫刻における“法悦状態の女性像”を考えるためには必要不可欠である。
 第二章ではベルニーニが神話彫刻の制作によって得た変容、時間、それに伴う空間を表現する技量が、宗教彫刻においてはかたちを変え、さらに宗教性の表現に効果を発揮している様相を考察した。『聖テレサの法悦』が世俗的・人間的愛の物語であると誤解される要因の一つについて、テレサとビビアーナ、ルドヴィカ・アルベルトーニの相違点が挙げられる。三体の聖女像はいずれも“法悦状態の女性像”として視覚化されており、観者に法悦を観想させるという目的を持つ点においては同じである。しかし法悦と死とが直接結びついている状況のビビアーナ像とルドヴィカ・アルベルトーニ像とは異なり、テレサ像は超現実世界と現実世界を行き来する不安定な状況である。超現実世界と現実世界の境界に位置していることの視覚化に成功しているテレサ像は、バロック美術の目的である、観者を幻惑させ宗教的高揚をもたらしており、テレサが法悦という超俗的体験をしながらも、後に現実へと引き戻されるという日常性を備えた表現が観者に世俗性を感じさせる。また、ベルニーニはドラペリーや雲、光、色を効果的に使い、テレサが超現実世界と現実世界の狭間にいることを具体化するのに活用している。
 第三章は、観られる対象としての『聖テレサの法悦』のみに焦点を絞り、天使の視線、テレサの視線、コルナーロ家の人々の視線、観者の視線、天上の視線、そして骸骨の視線のそれぞれが持つ意味が、『聖テレサの法悦』における超俗的性格と現世的性格をいかに位置付けるものであるかを考察した。ベルニーニの彫刻作品における眼球の表現に着目し、テレサに対し世俗的な視線を向けていると捉えられかねない天使の視線は、実際には神の慈愛が反映されている象徴的表現であると結論付けた。また、天使と同様にしばしば世俗的存在であるとされるコルナーロ家の人々について、彼らの視線はテレサ像に向けられていないこと、彼らは聖会話における聖人と同様でありテレサの法悦状態を観想する存在であることを述べた。コルナーロ家の人々の位置は、現世的存在が超俗的存在へと近づき得るぎりぎりの境界線上にある。
 ベルニーニが描いた“テレサの法悦”は超俗的体験であり、そこには一切の世俗的愛は存在し得ない。しかし観者は、超俗的性格の中に現世的性格を発見することで、自ら幻惑に陥り、無意識に聖界から俗界へと移行しがちになる。このベルニーニの機智に富んだ発想は、バロックの複雑さを如実に表している。ベルニーニが意図した宗教彫刻としての『聖テレサの法悦』は、バロック芸術の本質の中で揺れ動く存在として観者を幻惑させ、宗教的高揚をもたらすものである。バロックにおける超俗的性格と現世的性格は、一方に偏向した考え方ではなく、両方を読み取ろうとしない限り、バロック宗教芸術の持つ本当の意味は見えてこないであろう。ベルニーニの作品がバロックの複雑な時代背景に即したものであるということを考えれば、観者を幻惑させ作品の世界に取り込んでしまう彼の作品は、まさにバロックを代表するものであるといえる。

 
 
 
 
BACK TOP HOME