京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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論文梗概
 

西村 麗美 「ヴィヨンの妻」における女性像と女性一人称体

 

太宰治は昭和一二年から二三年にかけて女性主人公の一人称体を用いた作品を一六篇発表している。これらの作品は読者から人気が高く、『女性』(博文館、昭和一七年六月)という題の創作集としてまとめられている。一六篇というと、太宰の作品の一割強にあたり、太宰の創作期間で言うと、中期に集中して用いられている。女性一人称体は太宰の中期の作品を知る上で、欠かせない技法だといえる。
なぜ太宰は女の一人称体をたびたび用いたのだろうか。先行研究では、薬物中毒となり心中を起こすなど、社会から逸脱した太宰の実人生を念頭に置きながら、その太宰が社会に受け入れられる為に、女になりきって自身の主張をしたとされてきた。社会になじめない弱者の泣き言を女の姿を借りて作品に表わしたというのである。
しかし、本論では、すべての女性一人称体作品がそのような理由で描かれたのではないと考える。太宰は女というものを弱者ではなく、むしろ理解しがたい強いものだと考えていたと思われる。そして、女性一人称体においても、女の強さや不可解さを表現しようとした作品がある。
本論で取り上げる「ヴィヨンの妻」もそのうちの一作品である。主人公である強姦された妻が、放蕩を繰り返す夫に「生きてゐさえすればいい」と告げるこの作品は、研究者によって解釈が大きくわかれる。女が男の救済者であるという解釈と、男を突き放す不可解な他者であるという解釈とがあり、全く真逆の読解がなされてきた。本論では、困難な状況における男女の反応の違いと主人公である妻の残忍性について描かれた作品であると解釈し、それを論証していく。
また、妻の残忍性は、女性一人称体によってより強調されている。作品テーマとともに女性一人称体の効果について明らかにする。

 
 
 
 
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