京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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論文梗概
 

倉本咲 トゥールーズ=ロートレックの自己演出に関する一考察

 

 アンリ・マリ・レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック・モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec Monfa,1864-1901)は、19世紀末にフランスモンマルトルで活躍した画家である。彼は伝統ある貴族の生まれであったが、代々続く血族結婚が原因で遺伝的障害をもつことになる。パリでレオン・ボナやルネ・プランストーなどアカデミックな師のもとで絵画を学んでいたが、モンマルトルの歓楽街に出かけるようになり、そこでカフェやキャバレーの踊り子や役者たちの姿に魅了される。ロートレックの生活はモンマルトル中心へとうつってゆき、そこで31点の石版ポスターを残す。
ロートレックの先行研究では彼の血統が伝統ある貴族の生まれということ、脚の成長だけが止まり異形の姿であったこと、そしてモンマルトルというパリの歓楽街で夜な夜な遊び歩いていたという事実が必ず述べられている。体の不遇と作品の関係を考察する先行研究はあるが、貴族出身ということと画家としての活動の関連はあまり取り上げられていない。
しかし、ロートレックが貴族であるという事実は彼が絵画だけはなくポスター制作にも熱中したことと重要な意味があったのではないだろうか。また、裕福ゆえに「世間の評判を気にせず自分が描きたいものを描く」自由気ままなボヘミアン画家とも言われているが、はたしてそうだろうか。ロートレックは貴族の出身ではあるが、本物の貴族としては帰る場所がなかった。その為画家としての名声を得るため、様々な自己演出を行い、自分自身を宣伝媒体にしたのではないか。
本論では、上記の仮説を示すため、当時の社会背景、ポスターの位置づけ、題材となったモンマルトルのカフェの歴史をふまえて、ロートレックが歴史の中でどのような位置付けにあったかを考察する。そして、ロートレックのポスターの特色を明らかにするためにシェレやボナールと改めて比較し、当時の社会とモンマルトルにおけるロートレックの特異性を明らかにしていく。
ロートレックのパリ・モンマルトルでの成功は絵の才能だけではない。もちろん「貴族」という肩書だけの力でもないが、〈異形の天才〉しかも〈実は貴族〉であるというギャップが当時の市民の好奇心を捉え、ロートレック自身もそのことに気づきながらも、隠れた努力(自己表現・自己演出)を怠らなかったのが、彼の成功の裏側だと考えられるのではないだろうか。生まれや体質を自らの足枷にするどころか、与えられた特異な体質をも名前を売る為に利用し、自らを宣伝媒体にしたのであろう。貴族として家を継ぐことも、帰る場所もなかったロートレックにとって画家としてのポスター制作の成功はどうしても手に入れたかったに違いない。その為に自身の体の不遇や、貴族出身といった彼しか持ちえない特異性を利用した。そして交友関係幅広く作り、スキャンダラスな生活を送り続けることで自分自身をエンターテイナーとした。自己演出を行い作品と自己の宣伝をすることによって名声を手に入れようとしたと考えられるのである。

 
 
 
 
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