京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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論文梗概
 

廣中博子
「鳥獣花木図屏風」論 ―新解釈の試み―

 

本論の目的は、伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」について、200年以上も闇に埋もれ俄かに現代に脚光を浴びることになった経緯と絵画を読み解くことである。若冲は、「動植綵絵」という三十幅の立派な傑作が存在しているにもかかわらず二百数十年の間、世間に広く認知されることがなかった江戸時代の画家である。
 前半では、「鳥獣花木図屏風」の来歴、図像、新奇の若冲にのみ認められる「桝目描き」手法の着想について、先行研究として美術史家の様々な見解をまとめた。
桝目描きの着想が西陣織の正絵からであるという推測、左隻の鳳凰、右隻の白象などの象徴的表現から仏画であるとの見解、鳥獣の表現が平和そうであることから仮想の楽園といった見解が、これまで提示された主な解釈である。若冲を奇想の画家、異能の画家と評価しつつも、「鳥獣花木図屏風」については、その手法や表現方法に美術史家の関心が集中しており、モチーフについての洞察にかけている。絵画について深く読み解かれているとはいえない。
 そこで後半ではより広い視野から、この作品が制作されたとする1788年前後の画壇の情勢を考察した。当時は日本美術史上でもまれに見る絵画美術の爛熟期で、各画派(狩野派、土佐派、文人画、円山派、円山四条派)の隆盛衰退は混沌としており、洋風画の抬頭、博物学・医学・科学など西洋文明の大きな波が押し寄せた時代であった。当時の若冲の胸中、人間性、思想、絵画への姿勢を推察、分析した結果、晩年(七十二・三歳頃)の若冲が新奇さと勇気を持って西洋風画に挑戦した作品が「鳥獣花木図屏風」であると考えた。若冲は、モチーフを西洋からとり、伝承、風評、文献、図鑑などの資料に基づいて、未知なる平和な楽園を人物以外の生き物で表現したのではないかと読み解いた。
 この作品は何とも不思議な絵画であるが、西洋をふまえたからこそ現代アート感覚として、華々しく存在するのである。

 若冲の名を現代の世に知らしめたのは、若冲畢生の「動植綵絵」ではなく、二百数十年もの間、誰からも評価されることなく闇に追い遣られていた、若冲自身も不本意の作品だったかも知れない「鳥獣花木図屏風」なのである。
 
 
 
 
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