京都ノートルダム女子大学 大学院人間文化専攻

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第六回「文化の航跡」研究会の報告

 

この第六回 「文化の航跡」研究会は、6月28日(月)に開催された、ユネスコ・アジア文化センターの文化遺産保護指導者研修・交流プログラムの準備段階の研究会として、〈講義編〉と〈実践編〉との二部にわけて持たれた。そのそれぞれについて、簡単に報告する。 なおこの「ユネスコ・アジア文化センターの文化遺産保護指導者研修・交流プログラム」については、別に報告が掲出されている。

5月21日(金) 第六回「文化の航跡」研究会 第一部 講義編「木版印刷と芸艸堂」

 ここでは、まず、日本の出版史における木版印刷の位置を説明し、なかでも江戸時代の木版印刷である整版について概説した。
次に、木版印刷の実際について、十返舎一九『的中地本問屋』の図版を材料にしながら説明を試みた。また、講師が所蔵している板木や、その板木をもとに摺り出された印刷物など、現物を示しながら、その具体的な作業工程について話をした。芸艸堂は多色摺りがお得意の版元でもあり、多色の印刷についてもふれた。
 さらに、出版と販売との業態が未分化であった江戸時代の本屋さんについて、その実情を説明し、本屋(書林)や本屋仲間、地本問屋などについても言及した。
 今回の見学先である芸艸堂については、先年京都精華大学で開催された芸艸堂の展示会での解説パンフレット(『京都図案の伝統と冒険 芸艸堂』2009年11月)を参考にしながら、明治33(1900)年あたりの、「世紀の変わり目」における、京都の工芸や出版のなかで、芸艸堂が果たした役割について述べた。

 

第一部 講義編「木版印刷と芸艸堂」
 
   

 芸艸堂は、明治24(1891)年に木版摺美術出版社として山田直三郎により創業され、その後の兄弟間の対立から別々に会社を持ったが、明治39(1906)年、その山田芸艸堂と本田雲錦堂が和解して「合名会社芸艸堂」となった。芸艸堂はまさにこの世紀の変わり目における京都文化のワンシーンを「歩いて渡った」といってよいのではないかと思う。それは、維新以降の古都京都が大きな転機を迎えるそんな世紀の変わり目に同伴して活動したいってよい。こうしたことがらを、レジュメや現物資料を提示しながら報告をおこなった。

→当日配布のレジュメ

6月11日(金)第六回「文化の航跡」研究会 第二部 実践編「芸艸堂見学会」

 芸艸堂見学会の様子
  17時から19時まで、芸艸堂の2階において、早光照子氏の説明と実際の「摺り体験」、そして「板木お蔵の見学」持たれた。
当日は学生諸君の授業の都合で、15時大学出発=御所周辺ツアーのおまけ附きグループと、16時半大学出発=芸艸堂見学会直行組との2グループに分かれ、17時に現地芸艸堂で集合した。
御所周辺ツアーでは、地下鉄丸太町で下車してつぎのコースを回った。

大丸ヴィラ→聖アグネス教会→菅原院天満宮→護王神社→蛤御門→御所の白雲神社→宗像神社→閑院宮邸跡と展示見学→拾翠亭→堺町御門→寺町通りを歩いて、芸艸堂

 それぞれの史蹟では、同行の英語英文学科ピーターソン教授が、その内容や作法など、機会をみて英語での説明や表現法を語ってくださり、期せずして、英語英文学科と人間文化学科とのコラボレーションが実現した形となり、大変有意義なツアーとなった。
 さて、17時には2グループが芸艸堂で集合して、2階の展示室で、早光照子氏のご説明を受けた。そして「板木蔵の見学組」と「摺り体験組」とに分かれて、木版印刷の体験やお蔵の見学をさせていただいた。
 板木のお蔵は、まことに驚嘆すべきものであった。その内容や数量だけでなく、それら板木が、時あるごとに、摺師の手で今なお印刷され販売に出されているという、言ってみれば「現役の選手たち」であるということも、語られれば当然のことながら、素直に驚かされた。多くの板木たちを前にして、思わず「脱帽」、といった気分になったものだった。
さらにまた、早光氏のお話では、芸艸堂の図案印刷など木版多色摺りはたいへん精巧な作業であり、今ではこうした高度の印刷技術を持っている摺師たち職人さんの数がだんだん少なくなってきている、とのことであったが、こうした事実もたいそう憂慮すべきことであると感じた。


芸艸堂2階にて、早光照子氏の説明を受ける

摺りの実演

板木蔵の一部
 
   

この見学会では、芸艸堂という木版印刷の出版社が、明治の時代に京都の学芸領域において果たした役割について、多くの事柄を学ぶことができた。さらに板木蔵をみせていただいて、明治の時代に一瞬ながらも引き戻された気分を感じることができた。そして、京都の工芸や出版のシーンにおいて、芸艸堂の果たしてきたその役割が、決して小さなものではなく、工芸面だけでなく、大きく京都の学術や美術の歴史にあっても、重要な位置にあったのだということがよく理解できた。京都の学芸や出版など、その文化の懐の深さと歴史の厚さをあらためて感じた見学会になった。
芸艸堂板木蔵の膨大な板木を、ただ単に文化財として残すということではなく、芸艸堂の現実の出版活動について、たとえばその出版物を図書館などが買い支えるなど、何らかの下支えが重要ではないかと考えた。つまり、板木だけでなく、その出版技法や技術をこそ後世に継承していく必要があると強く感じた次第である。
(2010/07/06 岡村記)

 
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