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京都フィールドワーク

 

第二回京都切支丹史蹟ツアー <京の教会史蹟を巡る> 実施報告

 
2010年10月17日(土)に京都切支丹史蹟ツアーを行いました。これは2009年2月23日のツアーに引き続くもので第二回目となります。今回はドミニコ会聖トマス学院(注)をメインとして、北隣の聖ドミニコ会女子修道院、そして西に向かいカトリック西陣聖ヨセフ教会、そしてかつて一条油小路近辺にあったとされる「だいうす辻子(づし)」までを歩きました。途中、同志社大学構内、京都府立大学旧図書館、梨木神社、御所内などを巡りました。そして我々の町歩きツアーで恒例となっている掃苔行は有馬ジュスタの御墓のある廬山寺墓所でした。
 
今回訪問して内部も見学させていただいた西陣聖ヨセフ教会。

今回訪問して内部も見学させていただいた西陣聖ヨセフ教会。

 

今回のツアーには建築学がご専門の生活福祉文化学部の中村久美教授のご参加を得て、京の建築史蹟の立場からいろいろ有益なお話をうかがうことができました。人間文化学科・大学院からは教員5名、院生1名、学部生7名が参加しました。学部生のうち2名は初参加の1回生でしたが、将来を担う次世代学生諸君が確実に育っているとの実感を与えてくれる参加でした。

いろいろのことをご報告しなければなりませんが、一連の「京都切支丹史蹟ツアー」については、学科・大学院専攻から出しておりますブックレットの一冊として平成23年度中にご報告する予定です。従って今回のウエブ上での第一報は特に「だいうす辻子」に焦点をあてたものといたします。
当日、資料の一部(第9ページ)として用意しました元禄4(1694)年の「京大絵図」上では、いわゆる「だいうす」なる地名は3ヶ所見られます。ひとつは現在の高辻通の西洞院通と新町通の間にあった小路で、今日の菊屋町あたり。「京大絵図」で見ると北側に「かんだ神宮」および「雨神」という名の社が見えます。寛文5(1666)年の浅井了意『京雀』では、この「だいうす」について次のようにしるしています。

往當此(そのかみ)町に伴天連が住て提宇子(だいうす)の法を歡(すすめ)しを太閤秀吉公禁制せられ寺を壊れたり。

この『京雀』の言う「寺」がいわゆる南蛮寺のひとつであることは間違いないでしょうが、この「だいうす」、今日の菊屋町あたりにそれが建っていたかどうかはっきりと確認されていません。ただ、フロイスの「日本史」の永禄8(1565)年の記述中には、フロイス達が京都を見物して回ったことが書かれてあるのですが、中でも大徳寺を訪れたと見られる部分で、そこで多くの仏教の僧侶に出会い、彼らが口々にフロイス達のことを「デウス」であるか尋ねたと記されています。これは仏教の僧侶達が切支丹達を「デウス」と呼んでいたからだ、とフロイス自身が書いていますが、当時すでにデウス(あるいはダイウス)という名の地域が存在しつつあったことを伺わせるエピソードではないでしょうか。南蛮寺遺跡として世に名高い天正4(1576)年に献堂式が執り行われたとされる「なんばんどう」があった中京区蛸薬師通室町西入姥柳町もそれほど遠い距離ではありません。

 
現在の下京区若宮通高辻下る菊屋町。かつて「だいうす丁」とよばれた

現在の下京区若宮通高辻下る菊屋町。かつて「だいうす丁」とよばれた小路のひとつ。
北に管大臣神社の鳥居を臨む。

 
さてこの「だいうす」に近い場所にもうひとつの「だいうす」という地名が残る場所を地図上に見つけることができます。現在の四条堀川交差点から西に一筋、岩上通の佐竹町がそれにあたります。 慶長元(1597)年長崎で殉教したいわゆる二十六聖人の中のひとり、スペイン人フランシスコ会修道士ペドロ・バプチスタが活動した場所として伝えられているところです。我々は第一回京都切支丹史蹟ツアーにおいてこの地を訪問しています。ここには現在は「フランシスコの家」としてキリスト教資料館が建っております。
今回のツアーで実際に訪れた「だいうす」は、「京大絵図」上に見られる3番目の「だいうす」で、現在の上京区の油小路一条あたりです。ごく近くにこれも京都における切支丹の歴史上有名な慶長天主堂の跡地があります。すぐ西側には堀川が流れています。
 
かつての「だいうす丁」近くで勉強会。背後に堀川通、左辺に一条戻り橋。

かつての「だいうす丁」近くで勉強会。背後に堀川通、左辺に一条戻り橋。

 

この近辺に現在「元百万遍町」と呼ばれる町がありますが、これはもともとこの地に現在の百万遍知恩寺があったなごりです。この元百万遍町はフロイス「日本史」永禄8年の京都見物の中でも言及されており、

ここは絹、緞子を織る織匠、扇子を作る者、その他種々の職人がいた、

と記されています。かなり賑やかな界隈に切支丹達は住まいを持っていた、あるいは南蛮寺(慶長天主堂)があったことが窺えるのではないでしょうか。
現在このあたりは住宅と会社のビルが混在する地域となっており、「京大絵図」の区割りをもとに「だいうす丁」の所在を確定しようとするのですが、残念ながらツアー当日までには実現できませんでした。さらに界隈を歩いてみてできるだけ正確な所在を知りたいものです。

ところで、今回のツアーの準備の過程で「だいうす」という地名が京都以外にも存在していたことを知りました。それは安土町にありました。言うまでもなく織田信長が切支丹達に建立を許可したとされるセミナリオの跡地近辺と推定されています。
大正11(1922)年に滋賀県蒲生郡役所によって刊行された「近江蒲生郡誌」の第三巻には、「セミナリオ所在地考」(pp.481~482)があり、それによると、

安土村下豊浦に小字「ダイウス」と称する一区の地名存す(中略)安土山下に「ダイウス」の地名存するは設令セミナリオの所在にあらずとするも此地は基督の神を祭りし故地なるや明なり、

と書かれています。そして所在地についての推定図も掲載されております。以下がそれです。

 

中央の堀の左側に「ダイウス」とある。
『近江蒲生郡誌』第三巻
<大正11(1922)年、滋賀県蒲生郡役所刊>

かつてのセミナリオ跡地。
このあたりが「だいうす」と推定されている。
 

安土町「だいうす」より安土山(安土城跡地)

 
私達のツアーはこれまで京都市内を主に行ってきておりますが、切支丹というキーワードで今後も史蹟ツアーを計画する場合、当然のことながら、安土の地へ足をのばすことも楽しみとなるのではないかと思いました。また、もしかするとこの「だいうす」なる地名は、例えば高槻などキリシタンの歴史がのこる他の地域にも存在する可能性があるのではないかと思いました。今後学生諸君と調べてみたい興味深いことのひとつです。
注)ドミニコ会聖トマス学院は非公開施設です。
(服部記)
 
 
 
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