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人間文化学科からのお知らせ

 
 

京都ノートルダム女子大学人間文化学科・人間文化専攻共催

報告 - 第三回 公開講演会を終えて

 

「比較古都論」(町のなりたち、人の往来) 平成19年10月20日

 

 

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講演2「パリはいかにして花の都となったか ---オスマン男爵によるパリ改造計画---」学長・教授 相良 憲昭

2007年10月20日(土) 13:00〜16:00

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講演中の相良学長パリは「花の都」として世界中の人々から賞賛されてきましたが、百数十年前までは決して美しい都市ではありませんでした。19世紀半ば頃のパリの写真を見ると、まるでスラム街のようです。道の真中は必ず窪んで溝になっています。人々は日々この溝に排泄物や、汚水や生ごみなどを捨てており、その行き着く先のセーヌ川は、泥、動物の糞、廃棄物、汚物、腐敗物などでいっぱいになっていました。パリの住民はこの川の水を飲んだり、浴びたりしていたのです。また、パリのすべての街区には巨大なゴミ捨て場があり、それらは「くさい穴」と呼ばれていたそうです。
この巨大なスラム街のようなパリを改造しようと思い立ったのが、ナポレオン・ボナパルトの甥のルイ・ナポレオン、すなわち皇帝ナポレオン3世でした。彼は1853年にオスマン男爵をパリ県知事に任命して、大改造に着手させました。オスマン男爵の事業の概要は以下のようなものです。

  1. 幅員の広い大通りの設置と道路網の整備:非衛生的なパリに光と風を入れることが主たる目的。同時に軍隊の移動を容易にし、反政府勢力が市街戦のためのバリケードを築くことを防ぐ手段ともなる。
  2. 公園や広場の新設:公園や広場は大事件が起きたときなどに、軍隊や警察を集合させる場所ともなる。
  3. 建物の修復や新設:古びた住居(ほとんどが平屋か、せいぜい4〜5階建て)などを壊して、新しい6〜7階建てを基準とするアパルトマンを4万戸以上新築。こうして、パリには統一の取れた美しい町並みが完成。
  4. 上下水道の整備:道路の整備と連動して、地下において下水道の整備が進められた。パリのすべての道路の下に下水道を貫通させ、しかも雨水と汚水を分離し、汚水はパリの郊外に集めるようにした。この下水道は20世紀になると、電気、ガス、電話、圧搾空気による電報の配達網なども併設。
  5. 街灯の増設:パリの犯罪発生件数を減らすために、街を明るく保つことを考えて、ガス灯を大量に設置。

オスマンによるパリ大改造は、約17年の歳月を要しました。その結果、パリはスラム街から「花の都」に大変身を遂げたといっても過言ではありません。この事業の総経緯費は21億1500万フランでした。この金額を現在と比較することは不可能ですが、パリ市の当時の1年間の税収入が5200万フランだったそうですから、その40倍というわけです。 
パリの大改造計画のために、オスマンは強引な土地収用を行なったりしたために、多くの批判や非難が投げかけられました。特に経済的に恵まれない人たちがパリの周辺に追いやられ、そのことが新たな社会問題を生じました。今でもパリの近郊のある地域には経済的に恵まれない人たちが多く住んでおり、そこに新たに不法滞在の労働者などが集まってきています。このような現象はオスマン改革の負の結果だといえるでしょう。

 

 
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看板とともに 受付にて 司会の服部教授 司会の服部教授
       
講演中の様子 講演中の様子 講演中の堀教授 講演中の堀教授
       
講演中の堀教授 講演中の相良学長 講演中の相良学長 講演中の相良学長
 
 

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