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京都ノートルダム女子大学人間文化学科・人間文化専攻共催

報告 - 第五回 公開講演会を終えて

 

「比較古都論」(町のなりたち、人の往来) 平成21年6月6日(土)

 

 

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講演1デーヴィッド・ヒル先生講演  『新しい国づくりと古都エディンバラ:一市民の視点』 要旨

平成21年6月6日(土曜日)  13:00〜15:30

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講演中の長沼光彦准教授

本日私がお話しますことは、スコットランドの首都エディンバラの人々にスコットランド自治、つまり「権限委譲」がどのような影響をもたらしているかです。まず最初に「権限移譲」(devolution)の意味からお話したいと思います。このdevolution という言葉は動詞 devolveつまり「責任を託す」から来ております。今回の場合は、英国(UK)政府が教育、厚生などの政策をスコットランド政府に権限移譲したことになります。国の防衛政策、税制度、そして社会保障についてはその限りではありません。そこで、この新しい政策がエディンバラの人々にどのような影響をもたらしているかです。

本日私の話は3つのポイントを持っております。まず1つ目は、スコットランドについて、その地理と歴史についてです。2つ目はエディンバラについて、同じくその地理とスコットランドにおける政治の中心、あるいは人々の関心の中心についてであります。最後は、この権限移譲の選択がいかなる影響をエディンバラにもたらしているか、であります。

まず最初はスコットランドの地理についてであります。スコットランドは山が多く、農地に恵まれておりません。東に大西洋、北に北極海に浮かぶ大小の島々、東に北海を隔ててヨーロッパの北の国々、そして南へ100マイル、強大で文化的伝統を誇るイングランドがひかえております。

現在の人口は5百万人、ちなみにイングランドは6千万人の人口を抱えております。人口の大多数は白人、アイルランド移民の子孫が100万人です。

歴史的にはスコットランドは千年ほど以前にとりあえず国としての体をなしました。それはイングランドからの執拗な攻撃に耐えて維持されました。1603年、国王はスコットランドとイングランド両国の王となりました。そして1707年、スコットランド国会は閉会しました。つまり王も議会もロンドンに移ったのでした。1999年、ロンドンの政府は、防衛、税、社会保障制度を除き、権力をスコットランドの国会に委譲したのです。

経済的にはスコットランドは豊かな国ではありません。富はいわゆる中心ベルト地帯、つまりクライド川の西側に集中しております。グラスゴウはタバコ、砂糖そして綿の輸入で富を築き、19世紀には、当地が石炭や鉄鉱石の埋蔵地であったことによって、重工業を盛んに興しました。石油と天然ガスが1970年から北海で採掘されていますが、生産量は落ちてきております。1980年からエディンバラはヨーロッパにおける4番目に重要な経済の中心地であるとされておりますが、昨年来、巨大な銀行2行が破綻し、イングランド銀行の支援をもとめております。

エディンバラはスコットランド第二の都市で、人口は40万人。イングランドおよびヨーロッパに接する大都市であり、国際的な都市であります。エディンバラはお城が立つ岩盤を中心として広がっている町でありますが、アーサーの椅子と称される海抜300メートルほどの死火山があって町や郊外を実にパノラマのような光景に見せているなど、世界中とは言わないまでも、英国の中では実に異色の町であると言えます。19世紀に鉄道が建設される以前は、スコットランドにおける人の往来、情報を行き来は、海を利用したものであり、今日の標準からはかなり逸脱したゆっくりしたスピードでした。

町の中心は二つの地域から成立しております。つまりエディンバラ城からホリルード宮殿まで延びるオールドタウンと、1780年から町の北側に建設のはじまったニュータウンです。今日のプリンシズ通り公園はオールドタウンとニュータウンの間を分けている谷に作られたものです。

エディンバラは歴史上産業の中心地であったことは一度もありません。主なる経済活動は第三次産業でした。多くの企業は空港近くのビジネスパークへ拠点をうつしております。多くの小売産業は町の郊外のショッピングセンターに現在移転しております。

1780年までは、すべての階層の人々がオールドタウンの6階ないし7階建てのアパート群にひしめくように暮らしておりました。1780年以降、富裕層が美しいニュータウンに移り住み、中産階級の人々は幹線道路沿いに建てられたアパートや一戸建て住宅へと移り住みました。1950年以降は、富に恵まれない人々は町の中心のスラム街から離れ、郊外へと移りました。

エディンバラのエリートたちは、医者、法律家、銀行家あるいは大学関係者です。プリンシズ通りのクラブが彼らの社交場であり、多くは町の中心から1マイル以内に住んでおります。町のいわゆるセンターはホームレスの集まる場所となり、市の行政関係者や旅行業者の頭痛の種となっております。

歴史的には、エディンバラは1550年からスコットランドの政治の中心地でした。またエディンバラはプロテスタント宗教改革者がカトリック信者メアリー女王と衝突した町です。またエディンバラはその100年後、別の反乱者たちがメアリーの孫のチャールズ1世に対抗する盟約に署名した町でした。またエディンバラは1707年の合邦法以前スコットランド国会があった町でした。

結果として、エディンバラにスコットランド国会が建設されたのは歴史上から驚くにあたりません。スコットランドの人々にはエディンバラがスコットランドの行政の中心地であることは自明の事実であります。

しかしエディンバラはスコットランドの文化の中心地でもありました。特に18世紀の後半、エディンバラはいわゆるスコットランドの学者や思想家が哲学、経済学、文学、歴史あるいは地質学などの分野でヨーロッパをリードしたスコットランド啓蒙の中心地でした。今日においても当時活躍した多くの人々が歴史上記憶されております。

もちろん他の都市にも存在するのですが、エディンバラこそ国立の文化施設、例えばスコットランド博物館、などが存在する古都なのです。

古都エディンバラではエディンバラ国際フェスティバルが毎年開催されます。インターナショナル・フェスティバル、タトゥー、フリンジなど多彩な催しがあり、有名なイベントとなっております。

講演中の長沼光彦准教授

それでは最後のポイントに移ります。権限委譲はエディンバラの人に何かそれまでと異なったものをもたらしたのでしょうか。

まづ最初に国会議事堂が出来ました。建物は多くの人々にとって評判がよくありませんが、以前そこにあったビール工場よりはましだと私は思います。残念ながら建設予算をめぐる不祥事で、建物の誇りに傷がつきました。

さらに言えば国会議事堂はエディンバラの国際的な地位を高めました。多くの国がエディンバラに領事館を設けました。この領事館で働く人々はエディンバラに働きに来る専門家の中の少数ですが、住居を買い求めたりサービスを受けたり町の知的な土台を高めております。国会が出来たことでスコットランドの人々には政府の人々やロビー活動をする人たちに直接話をすることが容易になりました。国防や税制について話をする以外はロンドンに行く必要はありません。

結果的に様々な団体がエディンバラに中枢施設を移動させました。それによって様々なサービスや不動産への需要がさらに高まりました。エディンバラへの人々の流入のひとつの結果はエディンバラ空港の拡張でした。

この空港と東にある港を結ぶ市電(トラム)が現在建設されております。エディンバラは今、正真正銘の首都となろうとしています。

プリンシズ通りの再開発案もあります。1960年代と70年代の建物を建て替え、古い家や店舗を再興し人々が現在は空きになっている上階に暮らすことが出来るようにしようとしています。

プリンシズ通りの地下にショッピングモールを建設してプリンシズ・ガーデンに出口をつけるという計画をする人々もあります。グラスマーケットは大変に不潔な地域でしたが道が再舗装されて新たに美しくされ、歩行者天国となりました。

このような改革や建設はエディンバラの人々に多大な不便や混乱をもたらしたことは事実ですが人々は自分たちの歴史的、文化的遺産を大切に思っております。町の中心からかなり離れた所に暮らす人々でもエディンバラ城を見ることが出来ますし、町の中心に訪れるとき中世の面影を残すオールドタウンの遺跡に出会うことも出来ますしジョージア朝風の展雅なニュータウンを見ることが出来ます。人々はこう思っています。古い建物を維持し、周りの地域を美しくしておくことが大切だと。

特にエディンバラの人々は国際フェスティバルにやって来る芸術家や見物人の人々に期待されるような、より良い施設を維持したいと心を砕いております。アッシャー・ホールと呼ばれる有名なコンサートホールは大掛かりな改装工事中で本年の夏のフェスティバルには間に合うようです。

これらの開発は多くの予算が必要で、残念なことにこの支出に対して二つの反対が判明しております。ひとつは、政府は十分な資産を備えている富裕層ではなく貧しい人の利益をもっと強めるべきだという考え方が広まっています。つまりスコットランド国内において国会はあらゆる地域に対して公平であることを求められています。多くの失業者を抱える他の地域に対してエディンバラだけが得をするというこのないことを求められているのです。人々はどちらが大事かを議論しています。グラズゴーの失業者に対して新しい仕事を与えることか、それともエディンバラで新しいオペラ劇場が必要かどちらが大切かを考えています。政治家たちはエディンバラに偏らないように気を付けなければならなくなっています。

エディンバラの市内では町は近隣パートナーシップに分割され予算が各地域の恵まれない人々の割合に応じて配分されております。町の中心に住む人はほとんどいないのに逆に彼らの平均収入はきわめて高いのが普通です。原則からするとシティーセンター区は割り当てられる予算が少ないことになってしまいます。

しかし多くの人が海外やエディンバラ市外から町の中心にやってきます。公衆トイレも必要だし様々な公共施設が必要です。小さい子供の為の遊び場も必要ですし、その他、休息所、散歩道、そして色々のお楽しみ施設が必要です。訪問者たちはごみもたくさん捨てます。時には夜中に騒がしく致します。シティセンター区に暮らす人々は掃除と安全確保のためにもっと予算が必要だと主張しています。

栄光や輝かしい実績は必ずしも幸福をもたらしません。エディンバラをスコットランドの首都としてふさわしい町に維持するためには強いリーダーシップを必要としています。エディンバラの象徴のような存在であった金融業の破綻によってお金の回りは悪くなり、一方、仕事をなくした人々が多い地域ではさらに援助を必要とするようになっているのが現状です。

未来は不透明です。しかし未来が不透明なことは決して珍しいことではありません。

 

 

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