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京都ノートルダム女子大学人間文化学科・人間文化専攻共催

報告 - 第六回 公開講演会を終えて

 

「比較古都論」(町のなりたち、人の往来) 平成21年10月17日(土)

 

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古都におけるイスラームの建築と美術:東洋から西洋へ

  ヴァレリー・ゴンザレス
元リッチモンド大学美術史学科客員教員
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はじめに

ヴァレリー・ゴンザレス先生本日の講演の目的は、東洋から西洋にまたがるイスラーム世界の古都における、芸術及び建築を、様々な時代を通して概観することにあります。

まず、イスラーム文明の始まりについて触れることから始めようと思います。

1.イスラーム文明の黎明期

イスラーム教は、ユダヤ教、そしてキリスト教に次ぐ第3の「一神教」であり、紀元570年にメッカ(アラビア)に生まれ、632年にメディナで亡くなったムハンマドにより啓示されました。

イスラーム教における啓示とは、あらゆる一神教における唯一の神が、大天使ガブリエルを通して口頭で、複数の節としてムハンマドに伝えられた、神の言葉そのものなのです。そして、その神の言葉は、イスラーム教徒の聖なる経典である「コーラン」に書き留められたのです。

こうして生まれた新しい宗教、イスラーム教は、紀元7世紀から8世紀にかけての「アラブ人による征服」のおかげで、世界中に広まっていきました。8世紀になると、東は、現在のパキスタンに在るインダス川、西は来たアフリカのマグレブの果て、更にはスペインまで広がっていきました。その後の歴史の中で、イスラーム教は、アフリカ・アジアに広がりますが、1492年には(領土であった)スペインを失うことになります。

アラブによる征服の後、イスラーム文明は、優れた都市文化のおかげで発展していきました。こうしたイスラーム都市文化は、宗教であり、かつ政治権力、また共同体組織でもある「イスラーム」の新たな必要に応じて、被征服国家の文明を採り入れた結果なのです。  

複雑な現象であるイスラーム都市の発展は、例えば西洋におけるギリシャやローマ時代の都市のデザインを模範とした系統だった適用、あるいは東洋における中国・唐の時代の都市モデルとったものに基づいて達成されたわけではありません。

イスラーム世界における都市計画は、社会の需要、そしてその土地から与えられる独自の可能性に応じて、個人や家族あるいは集団によって確立される、宗教上あるいは商業・社会などのイスラーム的制度にまず何よりも基づいていたのです。

イスラームの最も大切な施設・組織は、もちろん、都市風景にひときわ高くそびえるイスラーム礼拝所、すなわちモスクです。

 

2.イスラームの代表的な施設:モスク(イスラームの礼拝所)

モスクのことをアラビア語で「マスジド」と称し、神の前に「ひれ伏す」場、すなわち祈りの場所を意味します。

モスクは、イスラーム教の礼拝の場であるのみならず、社交並びに広い意味での共同体の営みの中心でもあるのです。実際のところ、時代の流れの中で、より専門化された組織(機関)が創られる以前、モスクは、文化的のみならず、法律、教育、並びに社会・政治的なあらゆる類の便宜を提供する多様な機能をもつ実用的な機構だったのです。多くの場合、今でも、モスクはそうした役割を担っています。

こうした多様な機能をもつ組織の模範となったのが、メディナにあった預言者ムハンマドの家なのです。ムハンマドが唱える新たな宗教(イスラーム教)に賛同することを拒否する、生まれ故郷の住民たちとの対立の結果、紀元622年にメッカを逃れ、落ちついたのが、そのメディナの家でした。この年が、イスラーム暦の始まりとなります。

コーランに記された第2の部分の神の啓示を、預言者ムハンマドが受けたのがメディナでした。そこで、メッカ啓示と称されるコーランの第一部と区別して、第2部をメディナ啓示と呼んでいるのです。

ムハンマドは、このメディナの家で、イスラーム教徒の礼拝、共同生活、そして「ジハード」と称される聖戦(聖なる戦い)を組織したのです。ジハードとは、もちろんイスラーム教の観点からですが、この世で唯一、真(まこと)の宗教の権威を広めることを目差す領土征服の活動を意味します。それ以来、ムハンマドが生きた時代の、メディナの生活が、イスラーム教徒の理想となったのです。

その存命中、ムハンマドの家は、預言者自身及びその家族の住居であると同時に、草創期のイスラーム共同体のメンバーたちのあらゆる活動の枠組みとして機能したのです。外面上は、ムハンマドの家は当時のアラビア半島北部の遊牧民の生活様式を反映して、簡素な構造でした。

土でできた囲いの壁で造られ、中には、庭上の広場と礼拝の部屋が一つ、そして、その両側に中庭の周囲に設けた柱廊、また、別の側には、個人の住居用の部屋が設けられていました。中庭は、その覆いの部分と共に、休憩所と同時に、イスラーム共同体としての集会と祈りの場所として使われていたのです。初歩的なものとは言え、こうした構造は、広い中庭、その庭の片側に設けられた、天井を柱で支える多柱式の礼拝の部屋、並びに、中庭の周囲に設けた柱廊、あるいは屋根に覆われた部分、といった将来の代表的な建築様式の概念化に影響を及ぼす幾つもの建築上のコンセプトに結果として生かされているのです。

その建築スタイルの多様性を誇るモスクの歴史は、したがってこれを模範として発展してきたのです。しかし、何よりもまず、あらゆるモスクがイスラーム教の聖なる地というわけではないことを知らねばなりません。

幾つかの聖地が存在すると同時に、優れた建築という観点から極めて重要でありながら、文化的・政治的意味しかもたないモスクも多く存在するのです。

 

イスラーム教には、基本的に3つの重要な聖地があります。

最も重要なのは、メッカに在るカアバ神殿のイスラーム文明以前の遺跡であり、世界中のイスラーム教徒にとり、信仰の中心です。アラブの伝統に従って造られた立方体の建造物であり、世界中の一神教の「信仰の父」アブラハムにより、唯一の神にささげられたと言われています。イスラーム文明以前にアラビアの聖地であったメッカにあるカアバ神殿は、「ハッジ」と称される1年に一度の巡礼が行われる、イスラーム教にとって最高の聖地なのです。この立法建造物の周りを囲む形で、モスクが建てられており、時代の流れの中でこれまで何度か建て替えられました。

2つ目の聖地は、メディナにある預言者ムハンマドの家および墓がある場所です。この場所にもモスクが建てられています。

イスラーム教徒にとって3つ目の聖地は、エルサレムにある「岩のドーム」とアル・アクサ・モスクからなる複合建造物です。この建造物は、紀元70年にローマ人により破壊されたユダヤ教のかつての神殿跡に、8世紀の初頭、イスラーム王朝のウマイヤ朝により建てられました。同じ広場に建てられた、これら2つの建造物は、はっきりと区別されるものであり一つは、聖なる岩の上に建てられた宗教的崇拝の対象としての大建造物であり、もう一つは、機関・組織という意味でのモスクです。

元々、ユダヤ人の聖地であったこの場所のイスラーム教徒による占有は、複数の物語が混じりあった伝説に基づいているのです。主要な伝説は、「ブーラーク・ムハンマド」という名前の天空を駆ける馬にまたがった預言者ムハンマドが、メッカからエルサレムまで夜空を駆けめぐってエルサレムにある、その名が冠されたドームにおおわれた有名な岩に着地したという、真夜中の天空の旅を語っています。

これら3つの最も重要な聖地に加えて、その他の聖地としては、ムハンマドの死後、スンニー派に対抗するイスラーム宗派として誕生するシーア派の聖地、並びにそれぞれの地域で、一般には、崇拝される宗教上の人物の墓といった、神聖化の対象となるものが存在することで、聖なる価値を獲得した全ての場所が、やはり聖地の名で呼ばれているのです。

 

3.モスクの建築と芸術

神聖化の対象となったモスク以外で、王侯・貴族が建立したものがあります。

シリアのダマスカスにあるウマイヤ朝のモスクや、イスラーム時代のスペインのコルドバ、あるいは、エジプトのカイロのイブン・トゥールーン(Ibn Tulun)モスクなどは、その典型的な例です。極めて名高いイスラーム芸術の代表作であるそれらの建物は、集会のためのモスクであり、各々の地区の単なる小規模礼拝堂やモスクとは区別されるものです。大規模集会用のモスクは「金曜モスク」とも称されています。と言うのも、皆が一緒に祈り、説教を聞くために、その土地のイスラーム教徒たちが集まる曜日に当たる金曜日の共同礼拝が執り行われるのは、こうした建物においてだからです。

これらの写真を見るとお分かりのように、イスラーム初期の簡素なモスクは、その由来は必ずしも明らかではない建築技術上のモチーフや、手の込んだ装飾によって、より豊かになっていくのです。

これらのモチーフとは、まず祈りの時を告げるモスクの尖塔(そびえたつ塔)ミナレットであり、そして、これについてはいかなる翻訳語も存在しない、アラビア語でいう「ミフラーブ」です。

ミナレットとは、1日に5回祈りの時を告げるための塔です。

「ミフラーブ」とは、イスラーム世界の地理的かつ精神的中心であるメッカに向かって、祈りをささげるための(キブラという)方向を示す目的で、モスクの中にある、ある程度の深さの「くぼみ」のことです。「ミフラーブ」は、ある特定のモチーフを表しておらず、抽象的なモチーフであり、その由来は知られていません。しかし、「ミフラーブ」は、モスクの中で最も装飾が施された場所で、とりわけコーラン及び祈りに関する文字を土台とした装飾で飾られている場所なのです。

さて、装飾についてみると、極めて興味深い多種多様な解釈の問題を提起しています。たとえば、ダマスカスにある装飾は、とても意義深いものがあります。

この装飾は、アラブによる征服以前、シリアがその一部であったビザンティン世界から伝わった技術である「モザイク」により、ほどこされていました。 その中で、風景を模したレパートリーもまた、典型的なビザンティン様式です。

しかしながら、最も大きな意味をもつ、ある要素が、こうした技法的にはビザンティン様式の装飾を完全にイスラーム風の作品にしています。その要素とは、生き物が一切そこに描かれていないという事実です。それらの牧歌的な風景は、純粋に静物画として描かれているのです。

ここで、まさしく今もって解かれていないイスラーム芸術の謎に突き当たるのです。すなわち、表示と抽象の問題、そして、その必然的帰結としての装飾の問題です。何らかのメッセージや言説を表現する芸術という考え方を、明らかに除去するこれらの芸術的フォルムに、どのような意味を読み取るのか、です。幾つかの解釈が可能ですが、何一つ検証できないのです。実際のところ、これらの装飾が何を意味するのか分かっていません。私はここで、こうした難解な問題に答えることはできない代わりに、厄介な問題が提起されている文化的背景を説明することはできます。

一つ確かなことは、イスラーム教では、偶像崇拝の対象となり得るような具象的な画を描くことは許されていないという事です。何故なら、神は、何らかの画像として表現できるものではなく、また、どのような具体的フォルムにも結びつけることはできないからです。したがって、宗教建築物では、こうした類の画像は最初から排除されます。

実は、これは、芸術における具象的な表現を教義上、禁止するという以上に、宗教における良識の問題なのです。それに、イスラーム教の全ての源である「コーラン」には、こうした禁止事項は記されていないのです。禁止されているのは、神をその化身として表現するという基本的考え方です。

その代わり、イスラームの歴史で、芸術において「生き物」を描くことを禁じる文献・資料は多く存在します。その中で、最も重要なのが「ハディース」であり、預言者ムハンマドにまつわる事実や言動が口頭で収集され、記録集の形で文章により伝えられたものです。

これらの文献は、神聖なものとは言え、いかなる意味でも「コーラン」に記された神の啓示に匹敵するものではありません。(つまり、コーランで明確に禁止されていない限りにおいて)、こうした文献は、イスラーム芸術における具象的な描写を完全に消し去るまでには至らなかったのであり、世俗的な環境では、あらゆる種類の表現媒体を通して、具象的な表現が数多く存在するのです。

とは言え、イスラームの宗教芸術における教義上のそうした制限が、その独自性と豊かさを生み出す形で、イスラームの視覚表現文化に影響を与えたことを強調しておく事は、とても重要です。その影響の主要なものとしては、

1) 抽象的かつ幾何学的な芸術の発展、とりわけ「ムカルナス」と称されるミツバチの巣の形をした装飾などが、それです。
2) 何らかの重要な考え・言説を表現すると言った機能が取り払われた、あるいは何らかの限定された象徴的な内容を伴い、必ずしも抽象的ではないが、様式化された装飾の発展
3) 個人が用いるためのミニチュア化されたサイズの版画の発展です。

しかし私は、こうした影響の例として枚挙するリストに、「文字芸術」の発展を入れることは、もちろんいたしません。

通常言われていることに反して、イスラームにおける書道の発展は、視覚芸術における「神性」を、別の形態の表現形態により表すことで、具象に取って代わる必要性から生じたものではないのです。書道はより深い理由で発展したのです。つまり、イスラームにおける形而上学的あるいは哲学的思索の重要な機能形態としての言葉、朗誦、そして文字の複合体としての言語形態を中心に据えた世界観より生じる衝動に駆られて発展してきたのです。したがって、それは、外からの力を排除するための構築物あるいは補完作用といった現象ではなく、論理的かつ固有の芸術的及び文化的発展なのです。

 

おわりに

イスラーム世界の芸術・建築並びに都市計画の分析や解釈にかかわる多くの問題は、これから取り組むべきものであり、とりわけ新しい方法によって新たに考察されるべきであると、端的に申し上げたいのです。

最後に、その全ての謎と共に、イスラームの視覚文化の豊かさを、聴衆の皆様に味わって頂くために、こうした講演をとおして少しでも貢献できたのではないか、と願っております。

ご拝聴ありがとうございました。

 

 

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