国際日本文化学科

   ローマの教会と東西文化交流

2023-10-12
研究

 2023年夏休みに現在取り組んでいる科研費研究(「明治維新期における漢字翻訳語の歴史的・言語的構造に関する多角的研究」)の研究発表のためにイタリアのローマを訪れました。

 実は明治維新期に翻訳されたおびただし漢訳西書はローマの教会と深く関わりがあります。今回の発表を機に東西文化交流の架け橋であった宣教師たちの足跡をたどりながら、彼らの偉績を再確認できました。

                        

 今回、ローマ大学東方学院での「日中伊言語文化交流フォーラム」で発表に使用した資料『客問條答』(1882)はイエズス会宣教師が上海で翻訳、刊行した教理啓蒙書です。この書物は後に日本で活躍していた宣教師プチジャンが購入し、長崎の羅典神学校の教科書としても使われました。西洋から中国、日本への伝播ルート、そして漢文、漢字を媒体にした翻訳書は明治期西洋文化伝来の特徴があります。
 イエズス会の最初の教会はジェズ教会(Chiesa del Gesù)といい、ローマの市街地に鎮座しています。そこに最初に日本にやってきた宣教師フランシスコ ザビエルの右腕(ミイラ)の一部が保存されています。
 ローマの近郊にあるチビダベッキア(Civitavecchia)にある日本聖殉教者教会も訪れました。この教会は支倉常長が率いた慶長遣欧使節団(1615)がここに寄港したゆかりで、1864年にフランシスコ会修道院の聖堂を「日本聖殉教者教会(Chiesa Dei Santi Martiri Giapponesi)」と名付けて改修し、献堂したと言われています。教会の壁に信者である画家の長谷川路可(1897−1967)による和服姿の聖母マリア像と日本の26聖人の殉教の姿が描かれています。日本のキリスト教信仰の一端がうかがえます。
教会の近くにある支倉常長の銅像と慶長遣欧使節団の航海ルート図。

 今日私たちが享受できた西洋の宗教、ことばなどの文化は、先人たちの努力と犠牲によってもたされたものであるとこの研究の旅によって、改めて認識しました。

       文責:朱鳳

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