こども教育学科

教えることよりも探究すること

2023-08-17
学科のまなび

「先生って、どういう仕事ですか?」。みなさんはこのように訊かれたら、どう答えますか。「そりゃ、何かを教えることでしょう」と答えるのではないでしょうか。英語の先生なら英語の知識を、数学の先生なら数学の知識をわかりやすく教えるのが仕事だろうと、何の疑いもなく思われることでしょう。ですが、わたしは、教育の研究に携わってきて、先生には知識を教えること以上に重要な資質があると思えてならないのです。

 わたしのこども教育学科の同僚に大西慎也先生という方がいます。社会科教育学が専門で、主に小学校教師をめざしている人たちの受講する科目を担当されています。先生は、時として、大学のキャンパスの外に出て、京都の町を歩くフィールドワークに学生たちをいざなわれます。地図を片手に実際に歩いてみることでしか発見できないことがあるということを、これから教師になっていく人たちに体験を通して学ばせていらっしゃるのです。

 

   わたしも先生といっしょに京都市内を琵琶湖疎水に沿って歩いたことがあります。先生にとっては、初めて歩くコースではなく、すでに何度か歩いたことのあるコースです。にもかかわらず、だれよりもわくわくしていらっしゃるのが大西先生なのです。それはどうしてかと言いますと、大西先生は、歩くたびに新たな気づきや発見をしておもしろがっていらっしゃるからです。自分の知っている事がらをどんどん書き換えていらっしゃるからです。

 

 

 

   わたしが教育の研究を通して学んだのは、すぐれた教師というのは、教科書に書かれた事がらをわかりやすく教える人ではなく、探究することに長(た)けた人であるということです。ある対象とどのようにかかわれば、それをより深く理解することができ、知的な喜びを感じとることができるのかを体得していて、その技法を伝えられる人。今の時代に求められているのは、そういう「探究者としての教師」なのだろうと思います。

田中 裕喜

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